3行でいうと

  • 普及とは、新しいものが、伝達経路を通って、時間をかけ、社会の成員に伝わる過程だとする
  • 普及の速さは、相対的優位性・両立可能性・複雑性・試行可能性・観察可能性で決まる
  • 採用の早さで、人を5つの類型に分けると、普及はS字カーブを描く
  • 普及は常に良い結果をもたらすとは限らず、格差を広げることもある

向いている人

新しい製品や制度を広める仕事をする人、マーケティングや公衆衛生などの普及を理論から学びたい人に向きます。

読む意味

マーケティングでよく使われる「イノベーター理論」や普及曲線の元になった議論を、全体の枠組みの中で確かめられます。書評は、新しい技術やアイデアが広がる仕組みの基礎理論だとします。

読むときの注意

書評は、この理論はイノベーションが望ましいものだと前提しがちな点(親イノベーションバイアス)や、採用の意思決定を個人単位で捉えすぎている点について、後続の研究から批判があると述べます。学術書なので、読み通すには時間がかかります。

どんな本か

アメリカの社会学者エベレット・M・ロジャーズが、新しいアイデアや技術、製品が社会の中でどのように広まるかを体系化した学術書です。初版は1962年に出て、改訂を重ね、2003年の第5版が最終版になりました。日本語版は三藤利雄の翻訳で翔泳社から出ています。マーケティングで知られる「イノベーター理論」(採用の早さによる5つの類型)や、S字の普及曲線は、いずれも本書に由来します。

ロジャーズは、農村社会学、教育学、医療社会学、マーケティングなど、さまざまな分野に蓄積された500件以上の研究を横断的に整理し、共通するパターンを取り出しました。普及は、イノベーション、コミュニケーションの経路、時間、社会システムという4つの要素から成ると定義されます。普及の速さは、既存のものより優れていると知覚されるか、既存の価値観と合うか、複雑か、試しやすいか、効果が他者に見えやすいか、という5つの属性で決まるとします。採用者はイノベーター(約2.5%)、アーリーアダプター(約13.5%)、アーリーマジョリティ(約34%)、レイトマジョリティ(約34%)、ラガード(約16%)に分けられます。

個人や組織の決定は、知識、説得、決定、実行、確認の5段階で捉えられます。周囲に影響を与える「意見リーダー」や外部から働きかける「チェンジ・エージェント」の役割、似た者同士で話しやすい「同質性」が普及を妨げる点も論じられます。事例には、アイオワ州の農家でのハイブリッドコーンの普及研究や、ペルーの農村での水の煮沸消毒が根づかなかった例があります。

中身の柱

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概要

本書は、アメリカの社会学者エベレット・M・ロジャーズが、新しいアイデアや技術、製品が社会システムの中でどのように広まっていくかを説明する「イノベーション普及理論(Diffusion of Innovations Theory)」を体系化した学術書である。初版は1962年に刊行され、その後ロジャーズ自身による改訂が重ねられ、2003年刊行の第5版が最終版となった。日本語版は三藤利雄の翻訳により翔泳社から出版されている。マーケティング分野で広く知られる「イノベーター理論」(イノベーター、アーリーアダプター、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティ、ラガードという5つの採用者カテゴリー)や、S字カーブを描く普及曲線は、いずれも本書に由来する概念であり、社会学・コミュニケーション学の枠を超えてマーケティング論・経営学・公衆衛生学・農業普及学など幅広い分野に影響を与えた。

ロジャーズは、初版執筆時点までに農村社会学・教育学・医療社会学・マーケティングなど多様な分野で蓄積されていた500件以上のイノベーション普及研究を横断的にレビューし、それらに共通するパターンを抽出することで、分野を超えて適用可能な普及の一般理論を構築した。本書は特定の製品カテゴリーやマーケティング戦略に限定されない、社会システムにおける新しい考え方の伝播メカニズムそのものを扱う理論書としての性格が強い。

本の構成

Open Libraryが記録する第5版(Free Press、2003年、551頁)の目次は、次の全11章である(日本語は本稿の仮訳)。第1章 Elements of diffusion(普及の要素)、第2章 History of diffusion research(普及研究の歴史)、第3章 Contributions and criticisms of diffusion research(普及研究の貢献と批判)、第4章 Generation of innovations(イノベーションの創出)、第5章 Innovation-decision process(イノベーション決定過程)、第6章 Attributes of innovations and their rate of adoption(イノベーションの属性と採用速度)、第7章 Innovativeness and adopter categories(革新性と採用者カテゴリー)、第8章 Diffusion networks(普及のネットワーク)、第9章 Change agent(チェンジ・エージェント)、第10章 Innovation in organizations(組織におけるイノベーション)、第11章 Consequences of innovations(イノベーションの帰結)。各章の内容は次節以降の「主要な内容」で扱う。なお、本ノートの旧版は章題を異なる順序と題で記していたが、上の目次と一致しなかったため、外部資料で確認できた目次に差し替えた。翔泳社の日本語版の章題は確認できていないため、日本語の章題は挙げない。

主要な内容(詳述)

普及の4つの構成要素

ロジャーズは、「普及(diffusion)」を「イノベーションが、あるコミュニケーションチャネルを通じて、時間の経過の中で、社会システムの成員間に伝達されるプロセス」と定義し、これを構成する4つの要素として、①イノベーション(新しいと知覚されるアイデア・実践・対象物)、②コミュニケーションチャネル(マスメディアと対人的チャネル)、③時間、④社会システムを挙げる。特に「時間」の次元を明示的に組み込んでいる点が本理論の特徴であり、普及速度・採用のタイミング・意思決定過程の時間的経過という3つの時間的側面を扱う。

イノベーションの5つの属性と採用速度

イノベーションが普及する速度は、そのイノベーション自体が持つ次の5つの知覚された属性によって決まるとされる。 - 相対的優位性(Relative Advantage): 既存のアイデアや製品と比べてどれだけ優れていると知覚されるか。 - 両立可能性(Compatibility): 採用者の既存の価値観、過去の経験、ニーズとどれだけ整合するか。 - 複雑性(Complexity): 理解や使用がどれだけ困難だと知覚されるか(複雑であるほど普及は遅くなる)。 - 試行可能性(Trialability): 小規模に試してみることがどれだけ可能か。 - 観察可能性(Observability): その効果や利用結果が他者にどれだけ見えやすいか。 一般に、相対的優位性・両立可能性・試行可能性・観察可能性が高く、複雑性が低いイノベーションほど普及速度が速いとされる。

採用者の5類型と普及曲線

社会システムの成員をイノベーションの採用時期の早さによって分類し、採用時期の分布がおおむね正規分布に従うという前提のもと、平均採用時期からの標準偏差を基準に次の5つのカテゴリーに区分する。 - イノベーター(Innovators): 全体の約2.5%。冒険心があり、新しいアイデアを積極的に取り入れるリスク許容度の高い層。 - アーリーアダプター(Early Adopters): 約13.5%。社会システム内で尊敬される意見リーダーであることが多く、他の成員が採用を検討する際の判断材料となる層。 - アーリーマジョリティ(Early Majority): 約34%。慎重ではあるが、平均よりやや早めに新しいアイデアを取り入れる層。 - レイトマジョリティ(Late Majority): 約34%。懐疑的で、大多数が採用した後、経済的必要性や仲間からの圧力によって採用する層。 - ラガード(Laggards): 約16%。伝統志向が強く、最も採用が遅い層。 これらの累積採用者数を時間軸上にプロットすると、緩やかな立ち上がりから急激な増加を経て頭打ちになる「S字カーブ」を描くとされ、このS字カーブと正規分布に基づく5類型の対応関係が、本理論の最も広く知られた図式となっている。

イノベーション決定過程

個人(または組織)がイノベーションを採用するに至るまでの意思決定を、次の5段階からなる過程として定式化する。①知識(イノベーションの存在を知り、その機能について理解する段階)、②説得(イノベーションに対する好意的・非好意的な態度を形成する段階)、③決定(採用または拒否を選択する行動に従事する段階)、④実行(実際にイノベーションを使用する段階)、⑤確認(すでになされた決定を補強する情報を求め、場合によっては決定を覆す段階)。この過程は必ずしも一方向に進むとは限らず、いったん採用した後に拒否に転じる「非継続(discontinuance)」も想定されている。

意見リーダーシップと社会ネットワーク

普及過程における対人コミュニケーションの役割を重視し、特に社会システムの中で他者の態度や行動に非公式に影響を与える「意見リーダー(opinion leader)」の存在と、外部の専門機関(チェンジエージェント)が意見リーダーを介して間接的に社会システムに働きかける構造を論じる。また、自分と似た属性・価値観・社会的地位を持つ相手とのコミュニケーションを好むという「同質性(ホモフィリー)」の原理が、しばしば普及の障害(異なる社会階層間での情報伝達の断絶)になりうる点も指摘される。

イノベーションの帰結

イノベーションの普及がもたらす社会的な影響を、望ましい帰結か望ましくない帰結か、意図された(予見された)帰結か意図されない(予見されない)帰結かという2軸で整理し、普及が必ずしも一様に肯定的な結果をもたらすわけではなく、社会的格差の拡大(すでに有利な立場にある層がイノベーションをより早く採用し、格差がさらに拡大する現象)など、負の帰結も生じうることを論じる。

具体例

本書で繰り返し参照される代表的な事例が、1920〜30年代のアイオワ州の農家におけるハイブリッドコーン(交配種トウモロコシ種子)の普及研究である。収量が大幅に向上するにもかかわらず、実際に農家がこれを採用するまでには平均で数年を要し、採用時期の分布がS字カーブを描くことが実証的に示された、普及研究の草分け的な事例として紹介される。

医療分野の事例として、医師間の対人的なネットワークと「意見リーダー」の存在が新薬の採用速度に影響した研究が紹介される、と旧版のノートは記していたが、研究の場所(州)や薬剤名は外部資料で確認できなかったため、ここでは特定しない(詳しくは後掲の補足を参照)。

公衆衛生分野の事例としては、ペルーの農村における飲料水の煮沸消毒の普及の試み(村の伝統的な価値観との両立可能性の低さから、専門家の働きかけにもかかわらず普及が進まなかった事例)が、両立可能性の重要性を示す事例として取り上げられる。

実践への応用

本理論は、新製品・新サービスのマーケティング戦略において、ターゲットとする採用者層(イノベーターかアーリーアダプターか)に応じてメッセージや訴求ポイントを変えること、製品の複雑性を下げ試用のハードルを下げる工夫(無料トライアル、サンプル提供)を講じること、意見リーダーとなりうる人物やコミュニティを特定して重点的に働きかけることといった具体的な普及戦略の設計に応用できる。また公共政策や医療・農業分野の普及活動においても、新しい制度や技術を導入する際に、対象となる社会システムの価値観との両立可能性を事前に検討すること、対人的なコミュニケーションチャネル(意見リーダーやチェンジエージェント)を活用することが、普及速度を高めるための実践的な含意として導かれる。

位置づけ・評価

本書は社会学・コミュニケーション学における普及研究の最も包括的かつ体系的な理論書として、初版刊行から60年以上を経てなお学術文献としての被引用数が極めて多い、社会科学分野の古典の一つとされている。特にイノベーター理論(5つの採用者カテゴリー)と普及曲線は、マーケティング論において基礎的なフレームワークとして教科書に定着しており、後年ジェフリー・ムーアが提唱した「キャズム理論」(アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間に存在する深い溝という概念)も、本書の枠組みを土台として発展したものである。一方で、本理論はイノベーションが望ましいものであることを前提としがちである点(いわゆる「親イノベーションバイアス」)や、採用の意思決定を個人単位で捉えすぎている点について、後続の研究から批判的な検討も加えられてきた。それでもなお、新しい技術・製品・アイデアが社会に広がっていくメカニズムを説明する基礎理論として、マーケティング論・経営学・公衆衛生学・情報技術の普及研究など、極めて幅広い分野で参照され続けている。