3行でいうと

  • 情報は、物質の配置に刻まれた「結晶化した想像力」という物理的なもの
  • エネルギーが流れ込む開放系では、局所的に秩序が生まれうる
  • 個人の知識には限界があり、人のつながりが複雑な製品を可能にする
  • 国の豊かさは、蓄積された知識の複雑さで測れる

向いている人

物理学の言葉で経済や社会の成長を考えてみたい人。専門知識がなくても読めるよう配慮されていますが、分野をまたぐ話に少し慣れていると進みやすいです。

読む意味

GDPのような総量だけでなく、社会にたまった知識の複雑さで国や産業を見る視点が得られます。専門知識を一人で抱えるより、協働の輪を築くことが成果につながるという示唆も読み取れます。

読むときの注意

熱力学や情報理論の枠組みを経済に当てはめる手法は、比喩の域を出ていないのではないかという慎重な評価も、一部にあります。個人向けの実践指南書ではありません。

どんな本か

物理学者で複雑系科学者のヒダルゴが、「宇宙全体は無秩序へ向かう(エントロピー増大)のに、なぜ局所的には情報や秩序が育つのか」という問いに、熱力学、情報理論、進化生物学、経済学をまたいで答えようとする本です。情報を抽象的な概念ではなく、物質やエネルギーの並び方に刻まれた「結晶化した想像力」という物理的な実体として捉え、それがどう成長しうるかを一本の筋で説明します。

前半は、熱力学第二法則やシャノンの情報理論、計算の理論といった土台を一般向けに解説します。太陽からエネルギーが絶えず流れ込む地球のような開放系では、秩序が局所的に作られうるので、生命も物理法則の例外ではないと述べます。中盤では、情報が結晶やDNA、機械にどう体現されるかを論じます。後半は、個人、企業、国家という入れ子の階層ごとに知識がたまるという話に進みます。一人の人間が持てる知識には限りがあり、旅客機のような複雑な製品は、人のつながりの中に知識が分散していて初めて作れる、という考え方です。この限界を表す「パーソンバイト」「ファームバイト」といった造語も導入されます。

最後は、国家間の経済格差を知識ネットワークの複雑さの違いとして説明する、経済複雑性の理論につながります。輸出品の多様さと、その製品を作れる国の少なさから、その社会にたまったノウハウの量を推定し、将来の成長を見通す指標にするものです。

中身の柱

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概要

MITメディアラボ出身の物理学者・複雑系科学者セザー・A・ヒダルゴが、「宇宙の大部分がエントロピー増大の法則に従って無秩序へ向かう中で、なぜ局所的に情報や秩序が育つ場所が存在しうるのか」という問いを、熱力学、情報理論、進化生物学、経済学を横断的に論じた一冊。情報を抽象的な概念としてではなく、物質やエネルギーの配置パターンとして刻まれた「結晶化した想像力(crystallized imagination)」という物理的実体として捉え、それがなぜ、どのように成長し得るのかを説明する統一的な視座を提示する。原著は2015年に米国のベーシック・ブックス社から256ページで刊行された。著者はこの著書の後、2021年にはディアナ・オルギアンら共著者とともに、人間がAIやアルゴリズムをどう評価し信頼するかを論じた『How Humans Judge Machines』(MIT出版)を発表しており、本書で提示した情報・知識の物理的基盤という視座を、人工知能をめぐる社会的評価の問題にも応用している。宇宙論的なスケールの熱力学と、国家間の経済格差という一見かけ離れたテーマを、一本の論理の糸でつなぐ点に本書最大の野心がある。著者セザー・A・ヒダルゴは、チリ・スペイン・アメリカ国籍を持つ物理学者で、チリ・カトリック大学で物理学の学士号を取得した後、米ノートルダム大学で物理学の博士号を取得した。ハーバード・ケネディスクールの研究員を経て2010年にMITメディアラボに移り、2010年から2019年まで同ラボの「集合学習グループ(Collective Learning Group)」を率いた。2019年にはフランスのトゥールーズ大学へ移籍し、現在はトゥールーズ経済学院の教授を務めている。データ可視化企業Datawheelの創業者としても知られる。

本の構成

本書全体はおよそ10章前後で構成される。前半では熱力学第二法則、クロード・シャノンの情報理論、計算理論の基礎といった物理学的な土台を一般読者向けに解説し、中盤では情報が結晶やDNA、機械といった物質にどのように「体現」されていくのか、そのプロセスを論じる。後半では個人・組織・国家という異なるスケールでの知識の蓄積の問題へと議論を展開し、最終的には国家間の経済格差を「情報・知識ネットワークの複雑さ」の違いとして説明する経済複雑性の理論へとつながっていく構成になっている。各章は物理学の専門的トピックを具体的な製品や都市、企業の実例に落とし込みながら進むため、専門知識がない読者でも無理なく読み進められるよう丁寧に配慮されている。

主要な内容(詳述)

  • 熱力学第二法則と局所的な秩序の形成: 宇宙全体としてはエントロピー増大則に従って無秩序へ向かうが、太陽から絶えずエネルギーの流入を受ける地球のような「開放系」では局所的にエントロピーを減少させ、秩序を作り出すことができる。生命現象はこの物理法則の例外ではなく、まさにこの原理を利用した現象であることを説明する。この議論の理論的先駆けとして、ベルギーの化学者イリヤ・プリゴジンが提唱した「散逸構造」の理論(外部からエネルギーが流入し続ける開放系において、エントロピーを外部に排出しながら自発的に秩序だった構造が形成されうるとする理論で、プリゴジンは1977年にこの業績によりノーベル化学賞を受賞した)が念頭に置かれており、本書はこの散逸構造論を情報という切り口からさらに一般化しようとする試みとして読むことができる。
  • 情報の物理的定義: クロード・シャノン(1916-2001)が1948年の論文『通信の数学的理論』で確立した情報理論を紹介しつつ、情報を「複数の可能性の中からの選択」として定式化し、単なる抽象的な概念としてではなく、物質やエネルギーの配置パターンとして捉える独自の視点を展開する。シャノンはミシガン大学で電気工学と数学の学士号を、マサチューセッツ工科大学で修士号・博士号をそれぞれ取得した後、ベル研究所の研究員としてこの論文を発表し、情報量を確率とエントロピーの概念を用いて定量的に定義する枠組みを打ち立てた。
  • 計算の物理的基盤: 情報を処理し複製するには物理的な基盤(コンピュータ、DNA、脳)が必要であるとし、アラン・チューリング(1912-1954)が1936年の論文「計算可能数について」で提示した、単純な規則の実行によってあらゆる計算を行いうる仮想的な機械「チューリングマシン」の概念や、ハンガリー出身の数学者ジョン・フォン・ノイマン(1903-1957)がプリンストン高等研究所在籍時に構想し、死後の1966年に『自己増殖オートマトンの理論』としてまとめられた自己複製オートマトンの概念を援用しながら、情報が物質に「体現」されるプロセスを論じる。
  • 経済複雑性指数(ECI): ヒダルゴが、ベネズエラ出身の経済学者でハーバード・ケネディスクール教授のリカルド・ハウスマンと共同開発した「経済複雑性指数」を紹介する。この指数に用いられるスペクトル的手法は2009年にヒダルゴらが発表し、その成果は共著書『The Atlas of Economic Complexity: Mapping Paths to Prosperity』(2011年に初出、2014年にMIT Pressから第2版)として体系的にまとめられており、本書『情報と秩序』はこの経済複雑性の理論的土台を、より根源的な物理学・情報理論の観点から掘り下げ直した続編的な位置づけを持つ著作といえる。国家が輸出する製品の多様性と、それぞれの製品がどれだけ少数の国にしか生産できない希少で洗練されたものかという2つの観点から、その社会にすでに蓄積された暗黙知(ノウハウ)の総量を推定でき、これが将来の経済成長を予測する上で有効な指標であることを実証データとともに示す。
  • 知識と実践のネットワーク: 人間一人の脳が処理・保持し記憶できる知識には限界があるため、旅客機のような複雑な工業製品を生み出す膨大な知識は、一個人ではなく企業や社会的ネットワークに分散して保持されるとし、社会的つながりこそが経済的複雑性の物理的基盤であると論じる。著者はこの限界を表す独自の概念として、一人の人間が蓄積できる知識・ノウハウの最大量を指す「パーソンバイト(personbyte)」、複数の個人や企業のネットワークが集合的に保持できる知識量の限界を指す「ファームバイト(firmbyte)」といった造語を導入し、経済がこれらの容量の限界を、ネットワークを介して段階的に乗り越えていく過程として成長を描き出す。
  • 個人・企業・国家という入れ子構造: 情報は個人の脳、企業という組織、国家という社会システムという入れ子状の階層それぞれに蓄積されるとし、各階層が持つ情報処理容量の限界が、その社会が生み出せる製品の複雑さの上限を規定するという視点を提示する。この階層構造の考え方は、下位の階層で処理しきれない複雑さを上位の階層のネットワークへと橋渡ししていくことで、社会全体としてより高度な製品や仕組みを生み出せるようになるという、いわば知識のスケールアップの論理として説明される。

具体例

シリコンウェハーに刻まれたマイクロプロセッサの回路を「結晶化した情報」の典型例として提示するほか、氷の結晶が持つ低エントロピーで秩序だった構造、1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってその構造が解明されたDNAの二重らせんが、アデニン・チミン・グアニン・シトシンという4種類の塩基の配列によって遺伝情報を極めて高密度に保存する仕組み、約600万点もの部品から構成されるとされるボーイング747のような複雑な工業製品が、単一の人間の頭脳には到底収まりきらない膨大な知識の集積であること、チャドやパプアニューギニアのように輸出品目が単純な国と、日本やドイツのように多様で複雑な製品を輸出する国との経済複雑性の対比などが具体的なデータとともに描かれる。実際、ハーバード成長研究所が算出・更新している経済複雑性指数のランキングでは、日本は長年にわたって世界第1位クラスの評価を得ており、韓国やスイス、シンガポール、ドイツといった国々とともに上位を占める一方、天然資源への依存度が高い国ほど順位が低くなる傾向が繰り返し確認されている。また、ハリウッドの映画産業を、監督・俳優・撮影・編集・音響など専門化した個人のネットワークが一つの作品ごとに一時的に集まり、複雑な製品(映画)を作り上げたのちに解散し、また別の作品のために新たな組み合わせで再結集するという仕組みの例として挙げ、知識ネットワークが必ずしも恒久的に固定された組織である必要はなく、案件ごとに柔軟に再編成されうることも示している。

実践への応用

本書は個人向けの具体的な実践指南書というより、読者の世界の見方そのものの転換を促す性格が強い一冊である。読者は「情報」や「知識」を抽象的な概念ではなく、熱力学の法則と地続きの物理的実体として捉え直すことができる。また一国や一企業の発展の度合いを、GDPのような単純な総量指標だけで測るのではなく、その社会に蓄積された「知識ネットワークの複雑さ」という観点から評価する視座を提供し、イノベーション政策や産業政策を検討する上での新しい分析枠組みを提供してくれる。個人レベルにおいても、専門知識を一人だけで抱え込もうとするより、信頼できる協働ネットワークを築くことこそが複雑な成果を生み出す鍵であるという示唆を読み取ることができる。

位置づけ・評価

本書は物理学(熱力学)・情報科学・経済学という本来異なる学問領域を「情報とエントロピー」という共通言語で架橋しようとする野心的な試みであり、米国のサンタフェ研究所を中心に発展してきた複雑系科学の発想を色濃く汲む系譜に位置づけられる著作である。ヒダルゴが開発した経済複雑性指数は後にハーバード大学の「Atlas of Economic Complexity」プロジェクト(ハーバード・ケネディスクール成長研究所が運営)へと発展し、世界銀行など国際機関が刊行する開発経済学の実務報告でも参照される指標となった。日本語版は千葉敏生の訳で早川書房から刊行され、邦題は『情報と秩序 ―原子から経済までを動かす根本原理を求めて―』としてハードカバー版・電子書籍版の双方が発売されている。物理学の法則から出発して経済発展の指標を導く論理展開は、既存の経済学の枠組みに対する一種の挑戦としても読める。刊行当時から欧米の学術誌でも取り上げられ、経済地理学の専門誌『Tijdschrift voor Economische en Sociale Geografie』や『Financial Analysts Journal』といった学術メディアに書評が掲載されるなど、専門家の間でも議論を呼んだ一冊であった。一方で、熱力学・情報理論という自然科学の枠組みを経済現象へ適用する手法そのものについては、比喩の域を出ていないのではないかとする慎重な評価も一部の書評では示されている。


タイトル・著者に関する確認事項: 本ノートの対象書籍は当初「セス・ロイド」著と指定されていたが、日本語版『情報と秩序』(早川書房、2017年、原題 Why Information Grows)の実際の著者はセザー・A・ヒダルゴであることを複数の書誌情報で確認した。セス・ロイドの日本語訳書は『宇宙をプログラムする宇宙』(早川書房、2007年、原題 Programming the Universe)のみであり、『情報と秩序』とは別の著作である。そのため本ノートは著者をセザー・ヒダルゴに訂正した上で作成した。