3行でいうと
- 今の土地の人々が太古からの直系の子孫だという想定は、ほぼ常に誤りである
- 現生人類は旧人類と交雑し、その遺伝子が今の人々にも受け継がれている
- 古代DNA研究の知見を、人種主義的な優劣論に悪用させない配慮が必要である
向いている人
人類の移住と混血の歴史を、最新の遺伝学で知りたい人に向きます。集団遺伝学の統計的な議論も出るため、少し前提があると読みやすくなります。
読む意味
歴史学や考古学、言語学だけでは見えなかった人類の移動を、ゲノムの証拠で確かめる方法がわかります。書評は、民族やアイデンティティを固定したものでなく移住と混合の産物として捉え直す視点を養うと述べています。
読むときの注意
遺伝的な集団差の議論は政治的に敏感な話題で、書評は、知見の伝え方と誤用の危険を著者自身が自覚して扱っている点を挙げています。
どんな本か
本書は、古代DNA解析の分野を牽引するハーバード大学の遺伝学者デイヴィッド・ライクが2018年に書いた一般向けの著作です。中心の主張は、現在のある地域の人々が太古からそこに住み続けた人々の直系の子孫だという素朴な想定はほぼ常に誤りで、人類の歴史は大規模な移住、他集団による置き換え、異なる系統の交雑が幾重にも重なってできたというものです。ゲノム全体を調べる古代DNA分析という新しい手法でそれを実証します。
第1部は、ネアンデルタール人やデニソワ人と現生人類の関係です。両者が中東で少なくとも二度出会って交雑し、現代の非アフリカ系の人々のゲノムには平均して数パーセントのネアンデルタール人由来のDNAがあると述べられます。第2部は、ヨーロッパ、インド、東アジア、アメリカ大陸などの人々の祖先が、どんな集団の混合でできたかを地域ごとに論じます。約5000年前にステップ地帯から馬と車輪の技術とともに広がったヤムナヤ文化の牧畜民が、インド・ヨーロッパ語族の広がりと重なるという議論も、言語学の証拠と合わせて扱われます。
第3部は、集団間の遺伝的な差という知見が、人種やアイデンティティ、不平等といった論争的な話題とどう関わるかを考えます。著者は、この知見の政治的な敏感さに自覚的で、慎重に扱おうとする姿勢を示しています。
中身の柱
- 第1部:ネアンデルタール人・デニソワ人との交雑と、古代DNAという手法
- ゴースト集団:骨が出る前に統計で存在を予測した集団
- 第2部:ヨーロッパ、インド、東アジア、アメリカ大陸の祖先の混合
- ヤムナヤ文化の拡散とインド・ヨーロッパ語族
- 日本列島では縄文人と渡来系弥生人の混血が基盤になること
- 第3部:集団差の知見と人種・不平等をめぐる議論
あわせて読む本
- 第三のチンパンジー人類の進化と歴史を広く見渡す一冊として並べられる
- 遺伝子―親密なる人類史―遺伝学から人類史を読む点が重なる
書評データベースの全文を読む
概要
『交雑する人類―古代DNAが解き明かす新サピエンス史―』は、1974年7月14日ワシントンD.C.生まれで、小説家の母トヴァ・ライクとジョージ・ワシントン大学教授で元米国ホロコースト記念博物館館長の父ウォルター・ライクのもとに育ち、ハーバード・カレッジで社会学から物理学・医学へと専攻を移した後、オックスフォード大学セント・キャサリンズ・カレッジでデイヴィッド・ゴールドスタインの指導のもと動物学の博士号を1999年に取得し、2003年にハーバード大学医学大学院の教員となり、現在は同大学遺伝学教授、ブロード研究所連携研究者、ハワード・ヒューズ医学研究所研究員を務め、2013年には古代人類遺伝学の配列解析に特化した世界初の研究施設を自らの研究室に構築した、古代DNA解析研究の世界的第一人者であるデイヴィッド・ライクが2018年に発表した著作である。日本語版は日向やよいの翻訳によりNHK出版から刊行された。著者は2013年前後にマックス・プランク進化人類学研究所で古代DNA解析技術を習得し、その後わずか数年のうちに、世界で発表されたヒト古代DNAデータの半数以上を自身の研究チームが生み出すまでになった、この分野を牽引する研究者である。本書の中心的な主張は、現在ある地域に暮らす人々が、太古の昔からその土地に住み続けてきた人々の直系の子孫であるとする素朴な想定はほぼ常に誤りであり、人類集団の歴史は、大規模な移住、他集団による置き換え、そして異なる系統同士の交雑が幾重にも重なり合って形成されてきたという事実を、ゲノムワイドな古代DNA分析という新しい科学的手法によって実証する点にある。
本の構成
本書は3部構成をとる。第1部では、ネアンデルタール人やデニソワ人といった旧人類と現生人類(ホモ・サピエンス)との関係、そして古代DNA解析という技術そのものが考古学・人類学の研究手法をどう変えたかという、人類の遠い過去が扱われる。第2部では、ヨーロッパ、インド、東アジア、アメリカ大陸など世界各地域について、それぞれの現代の人々の祖先がどのような集団の混合によって形成されてきたかが、地域ごとに詳細に論じられる。第3部では、古代DNA研究が明らかにした人類集団間の遺伝的差異という知見が、人種やアイデンティティ、社会的な不平等といった現代社会の論争的なテーマとどう関わるのか、その科学的知見の意味と誤用の危険性についての考察が展開される。
主要な内容(詳述)
現生人類とネアンデルタール人の関係について、本書は両者が中東地域において少なくとも二度出会い、交雑したことをゲノム解析によって明らかにする。その結果、現代の非アフリカ系人類のゲノムには、平均して数パーセント程度のネアンデルタール人由来のDNAが組み込まれていることが示される。さらにシベリアの洞窟で発見された指の骨から同定された「デニソワ人」という、それまで知られていなかった旧人類の存在が明らかにされ、このデニソワ人由来の遺伝的要素が、チベット高原に暮らす人々が持つ高地環境への適応(酸素の薄い環境でも赤血球の酸素利用効率を高く保てる形質)に寄与していることが解明される。
本書のもう一つの重要な貢献は、実際の化石人骨が発見される前から、ゲノムデータの統計的な解析だけからその存在が予測される、いわゆる「ゴースト集団」という概念である。シベリアのマリタ遺跡で発掘された、約2万4000年前に生きた少年の骨から抽出されたDNAを解析したところ、著者の研究チームがあらかじめ理論的に存在を予測していた「古代北ユーラシア人」という未知の集団が実在したことが裏付けられ、この古代北ユーラシア人と古代東アジア人との交雑が、アメリカ大陸の先住民集団の遺伝的起源の一部を形成したことが示される。
言語学とゲノム研究を結びつける議論として、約5000年前にユーラシア大陸の草原地帯(ステップ)に存在した「ヤムナヤ文化」が、馬と車輪付きの乗り物という技術を伴って四方へ急速に拡散し、その子孫集団がヨーロッパやインドをはじめとする広大な地域に広がっていったことが論じられる。この移動の痕跡は、インド・ヨーロッパ語族に属する多くの言語に共通して見られる「車軸」や「引き具の棒」といった、車両に関連する語彙が共有されていることからも裏付けられ、言語学的な証拠とゲノム学的な証拠が互いに補強し合う形で、インド・ヨーロッパ語族の起源をステップの牧畜民に求める仮説が有力に補強される。ヨーロッパにおいては、縄目文土器文化や鐘状ビーカー文化の担い手が、こうしたステップ由来の遺伝的系統をヨーロッパ全域にもたらし、現代ヨーロッパ人の遺伝的構成を大きく塗り替えたことが示される。
具体例
本書の科学的手法の革新性を象徴する事例として、シベリアのマリタ遺跡出土の少年の骨から得られたDNA解析が挙げられる。この分析は、化石証拠が乏しい段階で統計モデルから存在が予測されていた「古代北ユーラシア人」という未知の集団の実在を裏付けるものとなり、統計的推論と実際の古代DNAデータとが相互に検証し合うという、古代DNA研究ならではの科学的方法論を示す代表例として詳述される。また、日本列島の人々の起源についても言及されており、縄文人と渡来系弥生人との混血が現代日本人の遺伝的な成り立ちの基盤となっていることが、他の地域における集団混合の事例と並べて紹介される。ヤムナヤ文化に由来する牧畜民の拡散がインド・ヨーロッパ語族の共通祖語の起源と重なるという議論も、ゲノムデータと歴史言語学のデータを組み合わせた学際的な論証の具体例として繰り返し取り上げられる。
実践への応用
本書は歴史科学の著作であり実務的なハウツーを示すものではないが、読者の思考枠組みに資する視点を提供する。第一に、「現在のある土地に暮らす人々は、太古からその土地に住み続けてきた単一の系統の子孫である」という直感的だが誤った前提を退けることは、民族や国家のアイデンティティを歴史的に固定されたものと捉えるのではなく、絶え間ない移住と混合の産物として相対化して理解する視点を養う。第二に、著者が終盤で展開する、ゲノム研究が明らかにする集団間の遺伝的差異という知見を、人種主義的な優劣論に悪用させないためにどう科学的知見を提示すべきかという議論は、科学的発見の社会的な伝え方や政策議論に関わる読者にとって、データの解釈と発信のあり方を考える手がかりになる。第三に、統計的なゲノム解析と考古学・言語学のデータを突き合わせて仮説を検証していく本書の研究手法そのものが、異なる分野の証拠を組み合わせて一つの複雑な問いに迫るという、学際的な問題解決のモデルケースとしても参考になる。
位置づけ・評価
本書は、古代DNA解析という2010年代に急速に発展した技術がもたらした人類史理解の一大転換を、その分野を牽引した研究者自身が一般読者向けにまとめた、決定版とも言える著作として国際的に高く評価されている。従来、考古学や歴史言語学といった人文学的な手法に頼らざるを得なかった人類の移住史研究に、ゲノムワイドな統計解析という自然科学的な検証手段が加わったことで、学問領域そのものの性格が大きく変わったことを著者は強調しており、本書はその転換点を記録した重要な文献として位置づけられる。同時に、遺伝的な集団差の議論が持つ政治的な敏感さについても著者は自覚的であり、科学的知見と社会的含意との関係を慎重に扱おうとする姿勢が、専門家・一般読者双方から評価されている。