この先に書いてあること
- この質問に、僕が困ってしまう理由。
- Claude Code、Codex、Google、ChatGPT。それぞれに任せていること。
- 命令の書き方より、先に決めておくこと。
最近、よく「どのAIに課金すればいいですか?」と聞かれる。
実は、この質問に答えるのがものすごく難しい。
ChatGPTがいいのか、Claudeがいいのか、Geminiがいいのか。そういう比較を期待されているのだと思うが、僕自身は、もはやAIを「どれが一番優秀なのか」という基準では見ていない。
かなりの数のAIを実際の仕事で使ってきて感じるのは、それぞれ抜群に得意なところがまったく違うということだ。
だから「どのAIが一番優秀ですか?」という質問そのものが、僕にはあまり意味がないように思える。
重要なのは、「何をしたいのか」である。
Claude Codeには「仕事」をさせる
僕が現在、最も依存に近い状態で使っているのはClaude Codeだ。
今の僕の開発環境で、Claude Codeがない状態はもはや考えにくい。
ここで重要なのは、「Claude Codeを使って作業する」という感覚ではないことだ。
僕自身が作業するのではなく、「Claude Codeに作業させる」。
だから僕が考えるのは、「自分がどうすれば快適に作業できるか」ではなく、「Claude Codeにどういう環境を与えれば快適に仕事をしてくれるのか」ということになる。
もちろんClaude Codeにも不得意なことはある。
特に画像を扱わせることに関しては弱い。
だったら、その能力を別のところから持ってくればいい。
Higgsfield、Canva、Adobeなどを接続し、Claude Code単体ではできないことを他のサービスにやらせる。
一つのAIですべてを解決しようとは考えていない。
Codexには「PC」を操作させる
一方、Codexにはまったく別の強さを感じている。
僕がCodexで最も驚くのは、PCの画面を人間が目で見ながら操作しているかのような正確さだ。
ブラウザを使わせ、画面を確認させ、必要なところをクリックし、入力し、結果を確認して次の作業へ進ませる。
これがかなり正確にできる。
実際にブラウザを使った仕事を長時間させても、僕の環境では途中で止まることが非常に少ない。
なぜそうなるのか、技術的な理由は僕には分からない。
ただ、使っている側の感覚としては、「AIにブラウザを操作させている」というより、PCの前にもう一人作業者が座っている感覚に近づいている。
Claude Codeは「仕事をさせるAI」。
Codexは「PCを操作させるAI」。
僕の中では、かなり役割が違う。
Googleという帝国
そして3つ目が「Google帝国」である。
面白いことに、僕自身がGeminiと会話しながら仕事を完成させる機会は、それほど多くない。
しかし実際の仕事を振り返ると、Googleが提供しているAI関連サービスをかなり使っている。
僕にとってはGeminiという一つのAIではなく、Googleという巨大な帝国の中に、それぞれ専門分野を持ったAIが配置されているような感覚に近い。
代表的なのがNotebookLMだ。
大量の資料を整理し、その資料を中心に考えたいときには非常に便利だ。
余計な情報が混ざりにくいので、考えている途中で迷子になりにくい。
音声についてもGoogleの進化には驚いた。
僕はElevenLabsをかなり使い込み、ボイスクローンについても散々検証した。しかし最終的には、僕が求めていたレベルのクローン音声にはならないと判断して解約した。
声が似ているだけでは足りない。
文章には感情があり、間があり、抑揚があり、意味によって読み方も変わる。
単に「本人に似た声を出す」ことと、「本人のように文章を表現する」ことは全然違う。
この分野は画像や動画に比べて進歩が遅いと感じていたが、Googleの音声技術を使って、その認識はかなり変わった。
Webデザインでも同じだ。
僕の使用感ではAntigravityは非常に強く、この分野ではClaude Codeより使いやすいと感じている。
つまりGoogleの強さは、一つのAIですべてをやらせることではない。
資料整理、音声、Webデザインなど、それぞれの工程に強いAIが存在していることにあるのだと思う。
ChatGPTは思考装置、Obsidianは記憶装置
そしてChatGPT。
僕にとってChatGPTは、これらとは少し違う存在だ。
僕はChatGPTを「思考を整理する相棒」として使っている。
頭の中に漠然とした考えがある。
まだ文章にもなっていないし、自分自身でも何を考えているのか完全には整理できていない。
それをChatGPTに話す。
すると考えが整理され、ときには自分一人では思いつかなかった視点が返ってくる。
その言葉からまた僕が考える。
さらに話す。
そうやって対話しているうちに、最初には存在しなかった考えに辿り着くことがある。
まさに今、この文章になるまで話していたこと自体がそうだ。
ただし、ChatGPTだけでは完結しない。
どれだけ面白いことを考えても、そのままチャットの中に置いておけば、時間が経つにつれて埋もれてしまう。
人間の記憶力にも限界がある。
そこで僕はObsidianを使っている。
ChatGPTとの対話で整理された考えや、新しく気づいたことをObsidianに蓄積し、必要なときに取り出せるようにしている。
僕にとってChatGPTが「思考装置」だとすれば、Obsidianは「記憶装置」なのかもしれない。
人間が経験や疑問や直感を持つ。
ChatGPTとの対話によって、それを考える。
そこで生まれたものをObsidianへ保存する。
そして必要になったら再び取り出し、新しい思考の材料にする。
そうするとAIは、単なる便利なソフトではなくなってくる。
人間の思考能力や記憶能力を外側へ拡張する存在になる。
最後のボタンは人間に残る
僕が最終的に理想としているのは、人間を介さずAIだけで仕事が最後まで完結する環境だ。
しかし、おそらく完全にはそうならない。
AIには最終的な判断を勝手にさせられない場面がある。
大きな課金が発生する。契約する。重要なデータを削除する。会社として何かを公開する。責任を伴う決定をする。
こういうところでは、最終的に人間の承認が必要になる。
これは安全性を考えれば当然のことだと思う。
しかし同時に、AIだけですべての仕事を完結させるという意味では、大きな足枷でもある。
AIがどれだけ賢くなっても、「できるかどうか」と「やらせていいかどうか」は別問題なのだ。
だから現実的には、人間を完全に排除するのではなく、人間が介入しなければならない回数を極限まで減らしていくことになるのだと思う。
100工程ある仕事で20回人間を呼び出していたものを、5回にする。
それを2回にする。
最終的には、最初に目的と権限を与え、最後に人間が承認するだけにする。
そこまでは十分に行けると思っている。
では、人間には何が残るのか。
僕は「作業」ではないと思う。
何をしたいのかを決める。どこまでAIに権限を与えるのかを決める。重要なところで判断する。そして最後に責任を持つ。
人間の役割は、少しずつこちらへ移っていくのではないだろうか。
AIをほとんど知らない人に言うなら
だから僕は、「どのAIに課金すればいいですか?」と聞かれると困ってしまう。
何をしたいのかによって答えが全部違うからだ。
ただ、AIをほとんど知らない人に一つだけ答えるなら、
「ChatGPTかGeminiのどちらかに課金すればいいんじゃない」
と言うと思う。
そしてもう一つ、僕ならこう言う。
「キーボードでAIに入力するのを一度やめて、全部しゃべってみたらいい」
僕はそのための音声入力としてAqua Voiceを使っている。
プロンプトを書こうとしなくていい。質問文を考えなくていい。検索窓だと思わなくていい。
「うまく説明できないんだけど、今こんなことで困ってるんだよね」
と、人間に相談するように話せばいい。
キーボードを使うと、人間は無意識に文章を短くし、整えてしまう。
音声なら、背景や理由や途中で思いついたことまで含めて大量の情報をAIに渡せる。
するとAIの方から、「だったら、こういう使い方もできますよ」と返ってくる。
そこで初めて、「AIってこんなことにも使えるのか」という発見が始まる。
制限するのは「方法」ではなく「境界線」
だから僕は、「プロンプトの書き方を勉強しましょう」という最近の風潮にも少し疑問を持っている。
SNSや動画を見ていると、「AIを使って自動で○○万円儲けました!」「このプロンプトをそのままコピペしてください!」「ChatGPTで稼ぐ方法!」という情報が大量に流れてくる。
僕はそれをかなり冷めた目で見ている。
仮にその人が本当に成功したとしても、同じプロンプトをコピーした人が同じ結果になるわけではない。
そもそも僕が現在AIを使うときに重要だと思っているのは、完璧な命令を書くことではない。
むしろ逆だ。
最初に、できるだけ正確な資料や背景を渡す。
そして、最終的に何を実現したいのかというゴールを明確にする。
さらに、「ここだけは変更するな」「これは絶対にやるな」「この予算を超えるな」といった境界線を決める。
しかし、その間をどうやって進むのかは、なるべくAIに考えさせる。
僕自身、話しているうちに気づいたのだが、AIに制限をかけていないわけではなかった。
実際にはかなり制限している。
ただし、制限しているのは「方法」ではなく「境界線」なのだ。
スタート地点。ゴール地点。そしてガードレール。
この3つを人間が決める。その間の道については、できるだけAIに自由に考えさせる。
人間が「まずAをやって、次にBをやって、それからCをやれ」と全部指定してしまえば、AIは人間が考えたことを高速に実行するだけになる。
しかしAIなら、「その目的ならAをする必要はありません。別の方法の方がいいです」と言ってくれる可能性がある。
僕がAIに期待しているのは、むしろそこだ。
自分が考えた通りのものを作らせたいのではない。
僕なんかでは思いつかなかった方法を見つけて、僕が想像していた以上のところまで持っていってほしい。
だからAIが賢くなればなるほど、人間が「How」を細かく指定する価値は下がっていくのではないかと思っている。
代わりに重要になるのは、「Why」「What」そして、「何をしてはいけないか」を決める能力だ。
これは優秀な人間に仕事を任せるのと似ている。
優秀な社員に対して、マウスをどこへ動かして、どのボタンを押して、次に何を入力するかまで指示する会社はない。
「こういう状態にしてほしい。ただし、この条件は絶対に守ってほしい。方法は任せる」
と頼むはずだ。
AIにも同じことが起き始めているのだと思う。
AIを使う人と、仕事を設計する人
そして、ここから少し意地の悪い話になる。
僕は、万人にAIを使いこなしてほしいとは思っていない。
AIで画像を作って喜ぶ。会議の音声から議事録を作って感動する。Excelをきれいにしてもらう。Wordの文章を整えてもらう。
もちろん、それだけでも十分便利だ。
でも正直なところ、みんながそこで止まってくれれば、この先の競争はそれほど激しくならないとも思っている。
AIが普及すれば、「AIを使えること」自体には価値がなくなる。
全員が10分で議事録を作れるなら、10分で議事録を作れる能力は競争力にはならない。
僕が面白いと思っているのは、その先だ。
AIに作業を手伝わせるのではなく、仕事そのものをAIに任せる。
さらに複数のAIを組み合わせ、自分自身が仕事のボトルネックにならないように、仕事の仕組みそのものを作り変える。
Claude Codeには開発させる。Codexには PCを操作させる。Googleの専門AIには、それぞれ得意な仕事をさせる。ChatGPTとは考える。そこで生まれた思考はObsidianへ蓄積する。必要になれば、また取り出してAIに渡す。
僕にとってAIとは、一つの万能な存在ではない。
それぞれまったく違う能力を持った専門家の集団に近い。
だから「ChatGPTとClaudeとGeminiのどれが一番賢いですか?」という議論には、あまり興味がない。
僕が考えているのは、もっと単純なことだ。
「この仕事は、誰にやらせるのが一番いいのか」
そして、そのAIが最大限能力を発揮できる環境をどう作るのか。
これから重要になるのは、「AIを使える人」と「AIを使えない人」の差ではないのかもしれない。
AIに作業を手伝わせる人。AIに仕事を任せる人。そして複数のAIを組み合わせ、AIが仕事をすることを前提として、仕事そのものを設計する人。
同じ「AIを使っている」という言葉でも、この間にはかなり大きな差がある。
ChatGPTが出たばかりの頃を思い返すと、本当にひどかった(笑)。
正直、仕事では使いものにならないと思っていた。
それが数年でここまで来た。
だから僕自身、今書いていることが数年後にも正しいとは思っていない。
おそらく、また全然違う使い方をしているだろう。
ただ、少なくとも今の僕はこう考えている。
AIを使いこなすというのは、完璧なプロンプトを書くことではない。
何をAIに任せ、何を人間が決め、どこから先をAIに自由に考えさせるのか。
その境界を設計することなのだと思う。
そして一番もったいないのは、せっかく自分よりはるかに多くの可能性を考えられるAIに対して、
「僕が考えた通りにやってくれ」
と命令してしまうことなのかもしれない。
