この先に書いてあること
- 議事録や画像づくりの、その先。
- ChatGPT 3.5で、僕が見切りをつけた話。
- 少しブラックな本音も書いています。
勿体ないなあ。でも、そのままでいいよ。
今の世の中は、誰もが「大逆転」に挑める、大きな岐路にあると思っている。
まるで「天才の頭脳」をポケットに入れて持ち歩けるような時代だ。これまでなら、知識がない、技術がない、頼める人がいない、お金がないという理由で諦めていたことに、AIという相棒と挑めるようになった。
もちろん、資本や経験の差が全部なくなるわけではない。それでも、学歴や蓄えてきた知識だけでは決まらない勝負が、これほど広く開かれたことはなかったのではないか。僕には、異常なボーナスタイムに見えている。
しかし、実際に聞こえてくるのは「可愛い擬人化の女の子が描けた」「会議の議事録が10分でできた」「プレゼン資料を丸投げで作った」という話だ。
便利になったのは間違いない。でも、そこで終わりなのかと思う。神の火を手に入れて、焚き火でマシュマロを焼くだけで満足しているように見える。ちなみに、僕はマシュマロが嫌いだw
僕が気になるのは、作業を終わらせることが、そのままゴールになっていることだ。
AIで見栄えのいい資料ができた。構成も整っている。誤字もない。一般的な採点なら80点くらいは取れるだろう。しかし、その資料を見て、決定権を持つ人の心は動くのだろうか。
何千もの提案を見てきた人に、80点の資料を何千個並べても、感動は生まれない。恐らく、100点でも足りない。「よくできていますね」で終わってしまう。
相手が何かの改善に手を焼いているなら、すでに自分でも考え、いろいろな方法を試しているはずだ。そこへ、過去に試したような案をきれいにまとめて持っていっても、「それはもうやった」で終わる。
必要なのは、相手が何を望み、何に困り、何を試して、なぜうまくいかなかったのかを理解すること。そのうえで、「それは考えていなかった」「それなら、やってみる価値がある」と思わせるものを引き出すことだ。
今までは、その突破口を個人の知識や経験、発想力に頼ってきた。しかし今は、AIという相棒がいる。
背景を渡し、案を出し合い、弱点を探し、別の切り口を考える。自分一人では辿り着けなかったところまで、考えを進められる可能性がある。その力を、資料を仕上げる作業だけに使って終わるのは、僕にはどうしても勿体なく見える。
ただし、何でも100点以上を目指せと言っているわけではない。
点数は絶対的な評価ではなく、相手の物差しで決まるからだ。
毎日の食事なら、100点の高級なラーメンより、品数が多く、安価で、お腹を満たしてくれる70点の中華料理店に軍配が上がる。その店には、毎日選ばれる理由がある。議事録を10分で作るAIも、同じ側にいる。あれは70点で十分に役に立つ。
しかし、数多くの提案を吟味し、その中から一つを選ぶ人に出す資料は、同じ話ではない。その人が求めているのは無難な出来ではなく、他にはない理由だ。いつもの水準を満たしただけでは、その人が新たに動く理由にならない。
僕が勿体ないと思うのは、AIの使い方が悪いからではない。勝負どころでも、70点の使い方のまま終わっているからだ。
では、なぜAIを使う人は、最初の便利さで止まってしまうのか。
理由の一つは、料金だと思っている。僕には安く見える月額3,000円でも、高すぎると感じる人はいる。
僕はすでに、その程度の利用枠ではすぐに止まってしまうので、月額200ドル(税込みで約220ドル)のプランを使っている。しかし、その対価を「勿体ない」と思ったことは一度もない。自分が何に使い、何を得ているかを実感しているからだ。
もちろん、課金額で能力が決まるわけではない。それでも、価値を知る前に料金を見て止まる人と、価値を知ったからもっと使いたいと思う人では、その先の試行錯誤の量が変わってくる。
僕は、この差が積み重なっていくのではないかと考えている。
もっとも、僕に偉そうなことは言えない。
ChatGPT 3.5を触ったとき、僕はあっさり見切りをつけた。嘘ばかりで、こんなものは仕事に使えない。使えるようになるまで、10年はかかるんじゃないか。それが本音だった。
それから、僕はAIを完全に使わなくなった。みんなが画像を作って盛り上がっているときも、冷ややかな目で眺めていた。
ところが、2026年5月に経験したClaude Codeは、背筋が凍るほど凄かった。一気に時代が開けたと思った。
あのとき見切りをつけた僕が、そう感じたのだ。僕が完全に止まっていた間にも、道具は進み続けていた。
だから、今そこで止まっている人を笑う資格は、僕にはない。ただ、一度の失望で止まった人と、もう一度触ってみた人。この差が、今の分かれ道になっているのだと思う。
そして、ここからは少しブラックな本音になる。
これほどの力があるのに、そこまでしか使わないのは勿体ない。そう思う一方で、内心では「ラッキーだ」とも思っている。
どうか、そこで止まっていてほしい。
同じ道具を手にしていても、多くの人が最初の便利さで満足しているなら、時間も労力も注いで、その先を深掘りする者には、まだ道が開いている。僕はそこへ進みたい。
誰もが大逆転に挑めると思っていることと、誰もが競争相手になってほしいと願うことは、別の話だ。社会全体を憂うべきなのかもしれない。しかし、自分の商売を考えれば、この状況は好機に見える。その本音まで含めて、ここに残しておきたい。
このコラムは、誰かを変えようとする啓蒙ではない。ただの観測記録だ。
同じ時代に、同じようにAIに触れながら、その使い方によって、静かに道が分かれていく。その先で本当に差が広がるのか。途中から追いつく人が現れるのか。それとも、僕の見立てが間違っているのか。
答え合わせは10年後、あるいはもう少し先になるかもしれない。
今の僕の気持ちを一行で残すなら、こうなる。
「勿体ないなあ。でも、そのままでいいよ。」
