この先に書いてあること
- 義足と眼鏡の、何が違うのか。
- 味噌ラーメンと、曇った眼鏡。
- 人間は、本当に目で見ているのか。
前回、僕はAIによって人間の老化時計を操作できるようになるのではないか、という話を書いた。
では、老化を自由にコントロールできるようになれば、人間は死の恐怖から逃れられるのだろうか。
僕は、そうは思わない。
なぜなら、人間には病気や怪我という問題が常につきまとうからだ。
怪我をするのが怖いから、外には出ない。家の中で静かに暮らしていれば安全なのかといえば、そうとも限らない。
ひょっとしたら隕石が落ちてきて、家ごと押し潰されるかもしれない(笑)。
まあ、そんなことが起こる確率は限りなく低いだろうけれど、どこにいても100%安全ということはない。
交通事故に遭うかもしれないし、スポーツをしていて大怪我をするかもしれない。ある日突然、今まで当たり前にできていたことが、できなくなってしまう可能性は誰にでもある。
しかし、僕は怪我や病気の治療について、これから非常に明るい未来が待っていると思っている。
その中心にあるのが、再生医療、遺伝子治療、そしてAIだ。
今回は怪我の話を、次回は病気の話をしたい。
交通事故で脊髄を損傷し、二度と歩けないと宣告された人がいる。事故によって手足の一部を失ってしまった人もいる。
これまでの医学では、一度失われた神経や組織を元どおりにすることは非常に難しかった。
ところが、iPS細胞などを利用した再生医療の研究が進んでいる。
自分の細胞からさまざまな種類の細胞を作り出し、傷ついた組織の機能を回復させようとする技術だ。
脊髄損傷についても、iPS細胞から作った神経のもとになる細胞を移植する臨床研究が行われ、一部の患者では運動機能の改善が報告されている。
もちろん、今すぐ誰でも歩けるようになるわけではないし、失われた手足を丸ごと再生できる段階でもない。
それでも、今まで回復が難しいとされていた怪我に対して、新しい治療の可能性が生まれている。
僕は、ここにAIが加わることで、研究の速度が大きく変わると考えている。
細胞がどのような条件で成長するのか。神経がどのようにつながれば機能を取り戻せるのか。移植した細胞が安全に働くためには何が必要なのか。
人間の研究者が膨大な時間をかけて調べてきた問題を、AIが解析し、実験を支援する。
これまで何年もかかっていた研究の一部を、もっと短い時間で進められるかもしれない。
僕がAIに期待しているのは、こういうことなんだ。
義足と眼鏡の何が違うんだ?
ただし、失われた身体の機能を取り戻す方法は、再生医療だけではない。
例えば義足だ。
僕は、義足や義手を使っている人を見て、単純に「かわいそうだ」とは思わない。
そもそも、義足と眼鏡の何が違うんだろう。
僕は本当に目が悪い。
眼鏡がなければ、日常生活に大きな支障が出る。だから眼鏡という道具に助けてもらって生活している。
義足は歩くことを助け、補聴器は聞くことを助け、眼鏡は見ることを助ける。
補っている機能が違うだけで、どれも人間の生活を支えるための道具ではないだろうか。
もちろん、それぞれに異なる苦労があることは分かっている。だから、まったく同じ経験だと言いたいわけではない。
でも、本人がどれほど不自由を感じているのか、他人が勝手に決める必要はないと思う。
例えば、僕は美味しそうな味噌ラーメンを目の前にすると、じっくり眺めたくなる。
ところが、湯気で眼鏡が曇って、肝心のラーメンが見えなくなることがある。
これは本当に悔しい(笑)。
そんなことは些細な問題だと言う人もいるだろう。
でも、本人が不便だと感じていることを、他人が勝手に些細なことだと決める必要はない。
ちなみに、僕はそんなときどうするのか。
スマホで味噌ラーメンを撮影し、その写真を拡大するんだよ。
そうすれば細かな部分まで確認できる。
ただ、それは自分の目で直接見ているわけではない。カメラと画面を通して得た情報だ。
それで満足できるかといえば、また別の話になる。
この話は、後で出てくる視覚の技術にもつながってくる。
さて、義足の話に戻そう。
現在の義足は、使用する人の身体の形状や歩き方に合わせて設計し、何度も調整する必要がある。
高性能なものほど費用もかかり、誰もが簡単に手に入れられるわけではない。
しかし、AIと3Dスキャン、3Dプリンターなどを組み合わせたらどうなるだろう。
身体の形状を読み取り、AIが設計を支援し、必要な部品を製造する。さらに歩行データを解析して、本人に合わせた調整を行う。
今まで専門家が長い時間をかけていた工程の一部を短縮できれば、製作期間も費用も下げられる可能性がある。
僕が期待しているのは、最高性能の義足ができることだけではない。
今まで高額で一部の人しか使えなかった技術を、もっと多くの人が手に入れられるようになることだ。
さらに、人工の手足が人間の筋肉より疲れにくくなったり、細かな作業を正確にこなせるようになったりする未来も考えられる。
失った機能を元に戻すだけではなく、場合によっては以前より高性能になるかもしれない。
そうなると、義足は単なる身体の代用品ではなくなる。
人間の可能性を広げる道具になるわけだ。
人間は、本当に目で見ているのか?
ここで、もう少し目の話をしたい。
一言で目が悪いといっても、さまざまな種類がある。
僕のように眼鏡で矯正すれば生活できる人もいれば、視覚を完全に失ってしまった人もいる。
そして、視覚を失った人にも、生まれつき見えない人と、人生の途中で見えなくなった人がいる。
どちらが悲惨なのか。
そんなものは比べられない。
視覚を失うことに伴う困難は大きいだろうし、その受け止め方も人によって違う。見えない人の人生が必ず不幸だという話でもない。
大切なのは、本人が何を望んでいるかだと思う。
では、失われた視覚を取り戻すことはできるのだろうか。
僕は、ここには大きく二つのアプローチがあると思っている。
一つ目は、生物学的なアプローチだ。
iPS細胞などを利用して、傷ついた網膜の細胞や組織を再生する。
例えば網膜色素変性症では、光を感じ取る細胞が徐々に失われていく。緑内障では、視覚情報を脳へ伝える視神経が障害される。
原因も損傷する場所も違うから、必要な治療も異なる。
それでも、今まで失われた機能を元に戻すことが難しかった領域で、再生医療の研究が進められている。
まだ誰でも視力を取り戻せるわけではない。
しかし、残された視力を守るだけでなく、失われた視覚機能を取り戻すことが研究の対象になっている。
これは大きな変化だと思う。
そして、二つ目がテクノロジーによる視覚の代替だ。
僕たちは目で見ていると思っているけれど、最終的に視覚を成立させているのは脳だ。
正確には、目の網膜が光を神経信号に変換し、その情報が視神経を通って脳へ届くことで、僕たちは景色を認識している。
では、事故などで眼球や視神経そのものを失った場合はどうするのか。
そこで登場するのが、ブレイン・マシン・インターフェース、いわゆるBMIだ。
カメラで外の世界を撮影し、その映像を電気刺激のパターンに変換して、脳の視覚野へ直接届ける。
眼球や視神経を通さず、脳に視覚情報を送るという発想だ。
現在の研究では、視覚野への刺激によって光の点のような感覚を生じさせたり、簡単な形を認識できるようにしたりする試みが進んでいる。
もちろん、カメラ映像をそのまま自然な視界として脳に映し出せる段階ではない。
それでも、発想としては実に面白い。
先ほどの味噌ラーメンを思い出してほしい。
僕は眼鏡が曇ると、スマホで写真を撮影して拡大する。
BMIが進歩すれば、そのスマホの画面すら必要なくなるかもしれない。
カメラが捉えた映像を、直接脳へ届けるわけだ。
そうなったとき、僕は本当に「自分の目で見ている」と感じるのだろうか。
それとも、あくまでも機械を通して見ていると感じるのだろうか。
この答えは、実際にその技術が進歩してみなければ分からない。
でも、眼球を失った人にも、再び外の世界を認識できる可能性が生まれるのなら、研究を進める価値は大きいと思う。
