この先に書いてあること

  • 遺伝子を書き換えることは、冒涜なのか。
  • 薬は、どうして痛い場所が分かるのか。
  • 病院で闘っている先輩たちへ。

前回は、怪我で失った身体を、再生させたり、機械で補ったりする話を書いた。

今回は、病気の話をしたい。

そして、病気の話をするなら、まず僕が一番期待している技術から始めたい。

遺伝子を書き換えることは、神への冒涜なのか?

失われた視覚を再生する方法と、機械によって代替する方法。

でも、もう一つ重要な方向がある。

そもそも、目が見えなくなる原因そのものを取り除くことはできないのか。

そこで登場するのが、遺伝子治療とゲノム編集だ。

例えば、遺伝性の網膜疾患の中には、特定の遺伝子の変異によって網膜の細胞が正常に働かなくなるものがある。

これまでの医学では、進行を遅らせたり、残された視覚機能を守ったりすることが中心だった。

しかし、遺伝子治療は病気の原因そのものに働きかけようとする。

正常に働く遺伝子を細胞へ届けたり、ゲノム編集によって問題となるDNA配列を修正したりする技術だ。

実際、一部の遺伝性網膜疾患では、正常な遺伝子を運ぶウイルスベクターを網膜の下へ注射する治療が、すでに実用化されている。

また、CRISPR-Cas9などを使ってDNAを直接編集する臨床研究も行われている。

遺伝子を補う治療と、DNAそのものを編集する治療は別の技術だし、すべての網膜疾患に使えるわけではない。

それでも、人類は「遺伝だから仕方がない」と諦めていた病気に対し、その原因へ直接働きかける技術を手にし始めている。

眼球には「免疫特権」と呼ばれる、免疫反応が特殊な形で調節される性質がある。

もちろん免疫反応がまったく起きないわけではないが、局所的に治療薬を届けやすいことなどもあって、眼科領域は遺伝子治療の研究が進んできた分野の一つだ。

では、遺伝子を書き換えることは神への冒涜なのだろうか。

僕は、まったくそうは思わない。

例えば、遺伝子を操作して時速200キロのストレートを投げる野球選手を作る。

あるいは、フルマラソンを1時間で走り切るような超人を作る。

そんな話なら、僕だっていろいろと考えるところはある。

でも、今話しているのは、そんなことではない。

生まれ持った遺伝子の変異によって、少しずつ視力を失っていく人がいる。

昨日まで見えていたものが、今日は見えにくくなる。

いつか完全に見えなくなるかもしれないという不安を抱えながら生活している。

もし、その原因となっている遺伝子の働きを修復できるのなら、なぜその研究を進めてはいけないのだろう。

僕には、それが神への冒涜だとは思えない。

設計図に問題があるのなら、その問題を修復しようとする。それは医学が昔から目指してきたことの延長線上にあるのではないだろうか。

もちろん、遺伝子の働きは複雑だ。

一つの遺伝子が複数の機能に関わっている場合もあるし、変更によって予想外の影響が生まれる可能性もある。

だから、安全性の検証は絶対に必要だ。

しかし、安全性を慎重に確かめることと、研究そのものを否定することは別の話だと思う。

僕は、こうした研究こそAIとタッグを組んで、もっと早く進めてほしいと考えている。

病気になりにくい身体を、最初から作れないのか?

そして、ここからもう一段、発想を進めてみたい。

病気になってから治すのではなく、そもそも病気になりにくい身体を作ることはできないのだろうか。

例えば、特定のがんの発症リスクを高める遺伝子の変異がある。

その変異を事前に見つけ出し、安全に修正できるようになったらどうだろう。

あるいは、ウイルスが細胞へ侵入するときに利用する仕組みを変えて、感染しにくい細胞を作る。

ちょっとマッドサイエンティストみたいな話だけどね(笑)。

実際、HIVが細胞へ侵入するときに利用するCCR5という受容体を変えるという発想は、すでに存在する。ただし、2018年に受精卵のゲノム編集で子どもが誕生した事件は、安全性と倫理の両面から世界中で強く批判された。この領域には、越えてはいけない線がある。

ただし、遺伝子には本来の役割があり、一つの病気に強くした結果、別の病気への抵抗力が変わってしまう可能性もある。

また、がんの多くは複数の遺伝的要因や環境要因が関わっており、単純に一か所を書き換えれば防げるものではない。

今の段階で、健康な人の身体を自由に編集して、あらゆる病気を予防できるわけではない。

それでも、未来の研究方向としては十分に考えられる。

これまでの予防医学は、生活習慣の改善やワクチン接種、健康診断による早期発見などが中心だった。

そこに、病気の発症に関わる遺伝子の働きそのものへ介入するという選択肢が加わるかもしれない。

僕が考えているのは、病気になってから戦うだけではなく、病気が発生する仕組みに先回りする医学なんだ。

もちろん、すでに病気を発症した人の細胞を治療することと、健康な人の遺伝子を将来に備えて編集することでは、許容できるリスクが違う。

さらに、その変更を子孫へ受け継がせるような話になれば、倫理的な問題はもっと大きくなる。

だから何でも書き換えればいいとは思わない。

でも、研究そのものの可能性まで閉ざす必要はないだろう。

そして、その複雑な安全性の検証にも、AIの力を使ってほしい。

どこを変えれば病気を防げるのか。

そこを変えると、ほかに何が起こるのか。

この両方を調べることが重要になる。

薬は、どうして痛い場所が分かるんだろう?

ここでもう一つ、僕が非常に期待している技術について話しておきたい。

DDS、ドラッグ・デリバリー・システムだ。

日本語では薬物送達システムと呼ばれる。

簡単に言えば、薬を必要な場所へ、必要なタイミングで、必要な量だけ届けようとする技術である。

「そんなの、今までの薬も同じじゃないの?」

そう思う人もいるだろう。

でも、ちょっと考えてみてほしい。

頭が痛いとき、僕たちは鎮痛剤を飲む。

足の指を骨折して痛いときも、同じような鎮痛剤を飲む。

頭と足の指では、まったく場所が違う。

なのに、どうして同じ薬で痛みを抑えられるんだろう。

実は、薬が痛い場所を探して移動しているわけではない。

飲み薬の多くは胃や腸を通り、消化管から吸収されて血液に乗り、身体のさまざまな場所へ運ばれる。

そして、薬が作用できる場所で働く。

鎮痛剤なら、痛みや炎症に関わる物質の働きを抑えることで、頭痛にも足の痛みにも効果を発揮する場合がある。

抗生物質も、感染した場所だけを自動的に探し当てているわけではない。

もちろん、鎮痛剤と抗生物質では作用の仕組みが違うし、感染症の原因によって使う薬も変わる。

でも、ここで僕が言いたいのは、薬が必ずしも患部だけに届いているわけではないということだ。

では、最初から必要な場所へ薬を届けられたらどうなるだろう。

例えば、患部で働かせたい薬があるのに、身体のあちこちへ広がってしまう。

必要な場所には十分に届かず、健康な組織にも作用して副作用を起こすことがある。

それなら、薬を必要な場所に集める技術を作ればいい。

それがDDSの重要な考え方なんだ。

僕は、ここに大きな可能性を感じている。

例えば、今まで100という量の薬を投与しなければ十分な効果が得られなかったとする。

しかし、DDSによって患部へ届く割合を大幅に高められれば、もっと少ない量で同じ治療効果を得られるかもしれない。

投与量を減らせれば、健康な組織が薬にさらされる量も減り、副作用を軽減できる可能性がある。

もちろん、すべての薬でそうなるわけではないし、薬の量が少なければ必ず安全という話でもない。

それでも、同じ治療効果を、より少ない薬で実現するという方向は、患者にとって非常に大きな意味があると思う。

それに、飲み薬についても考えてみたい。

口から飲んだ薬の多くは、消化管で吸収された後、肝臓を通って全身へ運ばれる。

薬によっては、その過程で相当量が代謝される。

肝臓で代謝されること自体が肝臓を傷つけるわけではないけれど、薬の種類や量によっては肝障害が起こることもある。

だったら、そもそも全身へ大量に薬を巡らせず、必要な場所へ効率よく届けられないのだろうか。

もちろん、飲み薬には自宅で手軽に使えるという大きな利点がある。全身に薬を届けることが必要な病気もある。

だから経口投与を否定したいわけではない。

僕が期待しているのは、病気や薬の性質に応じて、身体への負担が少ない投与方法を選べる未来なんだ。

眼球への注射を、何度も受けなくて済む未来

ここで、もう一度、目の話をしたい。

加齢黄斑変性という病気がある。

そのうち、網膜の下などに異常な血管が発生するタイプでは、血管から液体が漏れたり出血したりすることで、視覚に重要な黄斑が傷ついてしまう。

現在は、異常な血管の増殖に関わる物質の働きを抑える薬を、眼球内へ注射する治療が行われている。

効果が期待できる治療だけれど、患者によっては繰り返し注射を受けなければならない。

投与間隔は病状や薬によって異なるものの、何度も眼球に注射を受けることには、身体的にも精神的にも負担があるだろう。

そこでDDSが登場する。

薬を微小な粒子やカプセルに封入して、少しずつ放出させる。

あるいは、眼内に設置した装置から長期間にわたって薬を届ける。

こうした技術によって、治療効果を保ちながら注射の回数を減らそうという研究が進んでいる。

一部の長期薬剤供給技術はすでに実用化されているが、ナノカプセルで病変部だけへ正確に薬を届ける技術などは、まだ研究段階のものも多い。

それでも、目指している方向は明確だ。

患者が何度も注射を受けなくても済む。

病院へ通う回数を減らせる。

日常生活への影響も小さくできるかもしれない。

これは、病気そのものを治すこととは別の意味で、患者の人生を大きく変える可能性がある。

そしてDDSは、眼科だけの技術ではない。

がん治療、神経疾患、遺伝子治療など、さまざまな分野で重要になってくる。

どんなに優れた薬でも、届かなければ意味がない

僕は、DDSを未来の医療における「兵站」だと考えている。

兵站というのは、必要な物資を必要な場所へ届けるための仕組みだ。

どれほど優秀な装備があっても、必要な場所へ運べなければ意味がない。

医学も同じだと思う。

例えば、CRISPRというゲノム編集技術が、特定の病気の原因となるDNA配列を修正できるようになったとする。

しかし、その編集に必要な物質を、治療したい細胞へ届けられなかったらどうなるだろう。

研究室では素晴らしい結果が出ても、患者の身体では使えない。

逆に、目的としていない細胞にまで作用してしまえば、重大な副作用を引き起こす可能性がある。

だから、正確に届ける技術が必要になる。

脳の奥深く。

目の網膜。

耳の奥。

あるいは、特定のがん細胞。

必要な場所に、必要な量だけ届ける。

僕は、DDSを精密誘導ミサイルのようなものだと考えている。

もちろん、現実のDDSがミサイルのように病変部だけを完全に狙い撃ちできるわけではない。脳には薬の侵入を制限する仕組みもあるし、がん細胞だけに薬を届けることも簡単ではない。

だからこそ、研究が必要なんだ。

どんな材料で薬を包めばいいのか。

粒子をどのくらいの大きさにすればいいのか。

身体の中でどのように移動するのか。

どのタイミングで薬を放出すればいいのか。

検討すべき条件は膨大にある。

ここにもAIの出番がある。

AIがさまざまな条件を解析し、薬の分布や放出速度を予測し、研究者の実験を支援する。

薬そのものを開発するだけではない。

薬を安全に、効率よく、必要な場所へ届ける技術の開発にもAIを使う。

僕は、ここが非常に重要だと思っている。

未来の医療を支える三つの柱

ここまで話してきたことを整理すると、僕が考える未来の医療には、大きく三つの柱がある。

一つ目は、「書き換える」こと。

ゲノム編集や遺伝子治療によって、病気の原因となる遺伝子の働きに介入する。

将来的には、病気になってから治すだけでなく、病気になりにくい身体を作るという方向も考えられる。

二つ目は、「創り直す・補う」こと。

どれほど病気を予防できても、交通事故や不慮の怪我、未知の感染症などによって身体が損傷する可能性は残る。

そこで、iPS細胞などの再生医療によって組織や神経を修復する。

あるいは、義足や義手、人工臓器、BMIなどによって、失われた機能を補う。

今はまだ実現していないことも多いけれど、将来的には壊れた身体の一部を交換したり、以前より高性能な人工物で補ったりすることも考えられる。

そして三つ目は、「的確に届ける」こと。

どれほど優れた治療薬や遺伝子編集技術が完成しても、必要な場所に届かなければ意味がない。

DDSによって、治療に必要な物質を適切な場所へ、適切な量だけ届ける。

この三つは、独立した技術ではない。

互いに支え合うことで、今まで不可能だった治療を実現できる可能性がある。

「書き換える」

「創り直す・補う」

「的確に届ける」

僕は、この三つが一体となって、未来の医療を形作っていくと考えている。

そして、そのすべての研究開発を加速させる存在がAIだ。

もちろん、AIがあれば明日すべての病気が治るという話ではない。

安全性の確認も必要だし、臨床試験や承認にも時間がかかる。

しかし、研究に必要な時間を少しでも短縮できるなら、それは患者にとって大きな意味がある。

病気の進行と、治療法が完成するまでの時間。

その二つは、ある意味で競争しているようなものだからだ。

今日治せない病気が、明日も治せないとは限らない

僕が今回、これほど長々と未来の医療について書いたのには理由がある。

僕の知っている先輩たちの中にも、今、病院で病気と闘っている人がいる。

そういう人たちに、僕は伝えたいことがある。

今日治せない病気が、明日も治せないとは限らない。

これは単なる精神論として言っているのではない。

遺伝子治療は、すでに一部の病気で実用化されている。

再生医療では、これまで回復が難しかった身体機能を取り戻すための研究が進んでいる。

BMIによって、失われた神経の経路を迂回する研究も行われている。

DDSによって、薬をより効果的に、より少ない負担で届けようという技術も発展している。

もちろん、これらの技術によって、すべての病気が治ると決まったわけではない。

いつ、どの病気に、どのような治療が使えるようになるのかも分からない。

でも、治療の可能性が現実に広がっていることは確かなんだ。

そして、AIが加わることで、その研究速度はさらに変わっていくかもしれない。

僕は、ここに大きな希望を感じている。

今、入院している人にとって、一日という時間は非常に大きな意味を持つことがある。

新しい治療法が完成するまで、あと少しだったら。

新しい薬が承認されるまで、あと少しだったら。

今は治せないと言われている病気に、新しい治療の選択肢が生まれる日が来たら。

その日を迎えられるかどうかで、人生が変わる可能性がある。

もちろん、頑張れば必ず治るという話ではない。病気の経過も、治療の可能性も、人によって違う。

それでも、未来に何が起こるか分からない以上、今の医学の限界を、そのまま人生の限界だと考える必要はないと思う。

僕は、病気と闘っている先輩たちに言いたい。

もう少し頑張れ!

もう少しで、今まで治せなかった病気を治せる未来が来るかもしれない。

その未来がいつ来るのか、僕にも分からない。

でも、僕はその日が一日でも早く来てほしいと、本気で思っている。

だからこそ、AIには医学の研究をどんどん加速させてほしい。

新しい薬を発見する。

病気の原因を解明する。

失われた身体の機能を取り戻す。

治療に必要なものを、必要な場所へ安全に届ける。

そして、研究成果を一日でも早く、実際に治療を必要としている人たちへ届ける。

僕がAIの進化に期待しているのは、こういうことなんだ。

寿命の話では、僕は300歳まで生きたいと書いた。

でも、今回は少し違う。

僕一人が長生きできればいいわけではない。

今、病気や怪我で苦しんでいる人たちにも、これから訪れるかもしれない新しい医療の恩恵を受けてほしい。

そのために、研究にかかる時間を少しでも短くしてほしい。

今日治せない病気が、明日も治せないとは限らない。

僕は、そう信じている。

これは2026年の僕が、医学とAIの進歩を見ながら考えている、未来への期待である。